職業としてのプロジェクト(その4)

2008/11/18 中嶋 秀隆

「何をもって憶えられたいか」という問いかけ

ドラッカーが 13 歳のとき授業で先生から質問されたという。「何をもって憶えられたいか?」と。答えられる生徒は いなかった。そして、先生は続けた。「答えられると思って訊いたわけじゃない。でも、50 歳になっても答えられな ければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」

そのドラッカーが歯の治療を受けている時に、歯科医に同じ質問をした。その歯科医が答えたそうだ。「あなたが亡く なった時、死亡報告書を作成する係官が、あなたの歯を見て、“この人は一流の腕を持つ歯医者から治療をうけている” ということだ」と。

シュンペータ(経済学者、「創造的破壊」を提唱)の 24 歳での答えは、欧州1の馬術家、欧州1の美人の恋人、偉大 なる経済学者の 3 つだった。しかし、60 歳ごろ亡くなる直前には、馬のことも女性のこともいわず、インフレの危機 を最初に指摘したものとして憶えられたい、と変わっていた。

ドラッカーの問いかけの根源には、ケインズ(経済学者)の最も有名な言葉「長期的にはわれわれはみな死ぬ」という 議論の余地のない事実がある。ところで、「何をもって憶えられたいか?」という問いに対し、あなたはどう答えるだ ろう?

”『プロジェクトマネジメント学会誌』より転載”