精神的にタフであるとは 1.変えられることと変えられないこと

2012/05/15 中嶋 秀隆

思わぬ困難や逆境に直面した人がその修羅場を乗り切る力を英語で「レジリエンス」といい、日本の手引書として『再起する力』を発刊していただいた(生産性出版、4 月 23 日)。本稿でも、すでに「レジリエンス」の 5 つの柱――1)健康、2)問題解決、3)自信・自尊心・自己イメージ、4)開かれた心と学習、5)セレンディピティ――について論じた。今回からは、一歩進めて、精神的にタフであるとはどういうことかを考えよう。まず、変えられることと変えられないことについてだ。

米国海軍に古い話がある。ある晩、濃霧の中を一隻の戦艦が航行していた。すると、行く手に明かりがぼんやり現れ、だんだん大きくなる。船長が操舵室にやってくると、無線機から先方の明かりの主の声が流れてきた。

「警告します。南南東に向かって 18 ノットで航行中の船舶。すぐに舵を左に切ってください」
船長が無線で応答する。「南南東に向かって航行中の船舶です。そちらが舵を左に切ってください」
「ダメです、船長、そちらが舵を切ってください」
「私は米国海軍の艦隊司令官です。あなたはどなたですか?」
「私は沿岸警備隊員です」
「じゃあ、君が舵を切りたまえ」
「こちらは灯台です」

ここで船長は、行く手の灯台の足元に岸壁があるという事実を無視して直進することもできないわけではない。だがそうすれば、戦艦は岸壁にぶつかり大破するという結末が待っている。 この世には、自分の力で変えられることと変えられないことがある。変えられないことの代表格には、自然法則と過去と他人の3つがある。

自然法則にまつわる小噺を紹介しよう。

男が足の骨を折って入院した。翌日、見舞いに来た友人に自分が骨折した顛末を聞いた。すると男は前夜、パーティで泥酔したあげく、「空を飛んでみせる」と宣言して2階の窓から外に飛び出したという。そのまま地面に墜落して足を骨折したとのことだ。男が友人に食ってかかった。「俺はひどく酔っぱらっていたんだ。なぜ飛ぶ前に引き留めてくれなかったんだ」友人が答えた。「俺も一度見てみたかったんだよ。人が空を飛ぶのを」人が鳥のように空を飛ぼうとしても、できない相談である。引力があるからだ。引力を無視して2階の窓から外に飛び出すこともできないわけではないが、そうすれば、この酔っぱらい同様、大ケガという結末が待っている。しかし、世の技術者は引力の特性を研究・理解し、揚力を活用することを思いつき、飛行機をつくった。飛行に乗れば、人も空を飛べる。過去もまた変えられない。覆水盆に返らずである。テニスには、「打ったボールはもう過去だ」という言葉があるそうだ。相手コートに向かってボールを打ったら、できることは限られている。打ったボールの弾道を見極め、相手からの返球を想定して次の動作の準備を整えるだけだ。ボールがラケットを離れたら、弾道を変えることも、リセットをすることもできない。しかし、世の中には過ぎたことにいつまでも囚われて、せっかくのエネルギーを(前ではなく)後ろに向けている例が少なくない。自分の出自や教育、仕事の経歴や過去の人間関係まで、過去を変えようとしてマイナスのエネルギーを注ぐのは愚の骨頂である。過去に対して向けるべきものは「感謝」であって、ネガティブなエネルギーではない。エネルギーはポジティブなものを現在と未来に向けて注がねばならない。

変えられないものの3つめが他人である。しかし、このことを認識せず、他人を変えることを夢想し、躍起となるケースは枚挙にいとまがない。その結果、時間とエネルギーをいたずらに浪費することになる。プロジェクトマネジメントの研修や講演会でよく受ける問いがある。上司を変えるにはどうしたらよいかである。平たくいえば、「ツルの一声」を発するツルを何とかしたいというものだ。

この問いに対しては、こちらから聞いてみることにしている。「結婚している人でも、恋愛中の人でも、自分のパートナーに気に入らないことがあるとして、そこを変えてほしいと頼んで、頼んで、頼んで、頼んで、その結果、成功した人がいたら手を挙げてほしい」と。1人の手も挙がらないのが普通である。他人を変えようとしているからだ。そして、その努力は全くのムダである。上司を変えるにはどうしたらよいかという問いは、立て方がそもそも的外れだ。上司は他人であり、他人は変えられないからだ。会社は創業者の夢・ビジョンを中核にして存在している組織である。創業者は自分の夢・ビジョンの実現のためや、環境変化に対応しようという経営者としての責任から、考え方やいうことを変えることがある。上司はそれを支える中核の存在であり、部下はそれをサポートする立場である。

しかし、家庭でも仕事でも、変えられない他人を何とかして変えようとし、その結界、感情を害したり、人間関係を壊したりすることが少なくない。現実をしっかり見据えた上で、グチをこぼすのはやめなければならない。心理学者A・シーバートは「あの人が変わってくれたら、私の日々は安らかなものになるのに」というつぶやきを、全人類の嘆き節と揶揄している。

変えられることと変えられないことについては、ラインホルト・ニーバーの祈りの言葉が本質を射ぬいている。ここに引いておこう。

「われに与えたまえ変えられないことを受け入れる心の平静さと、変えられることを変えてゆく勇気と、それらを区別する知恵とを」

(次回に続きます)