笑うしかない

2015/01/13 中嶋 秀隆

 哲学者・木田元が亡くなったとのことで、尊敬するある先輩の示唆で、木田著『新人生論 ノート』を読んでみた。「笑いについて」という章の中にこんなくだ りがある。

 「私がよく笑うようになったのは、第二次大戦敗戦後のある時期からである。その頃は、うしろをふりむいても戦争中のいやな記憶ばかり、先を見ても真っ暗闇 、なんの希望ももてそうにない、あるのは悲惨といっていいほどに貧しい現在だけ、それを嘆いてもぐちっても、気持ちは暗く落ち込むばかりだ。そうなりゃ、も う笑うしかないではないか」

 悲惨な状況が身に降りかかるとか、物事がうまくいかず、何をやっても活路が開かれないということは、誰にでも必ず訪れる。そんな時には、「笑うしかない」 と一旦突き放して「笑い飛ばす」。そして、すこし距離と時間を置いた上で、意志の力で状況に向き合い、「世の中は捨てたもんじゃない」と、前向きに取り組む …レジリエンス(再起力)の1つの柱は、この辺の割り切りのよさにもあるのではないだろうか。

 米国出張の際、成田空港で預けたスーツケースをサンフランシスコの空港で受け取ると、側面に 20 センチほどの大きな亀裂が入り、中の荷物が外から見て取れ る。輸送中に乱暴な扱いを受けたのであろう。また、9.11 では都内から帰宅できない状態になった。つくば市の自宅の地震の影響は気がかりだか、わからなかった。3 日後に帰宅すると、2 階の自室の本棚と書類ケースが華々しく倒れており、そこから跳び出した本や書類が床を埋め尽くしている。整理するのにどこから 手を付けたらいいのか、考える気もしなかった。2つとも「笑うしかない」と感じたケースである。

 幸い、スーツケースは航空会社にねじ込んで賠償してもらった。自室の本や書類は、数日かけてもとに戻したが、床の傷は今も痛ましく見ることができる。いず れも、「笑うしかない」けれど、「世の中は捨てたもんじゃない」と思考を転換させた、身近な例かもしれない。

以上