旅行も事前準備

2017/02/17 中 憲治

ポルトガルへの 4 泊 6 日の駆け足ツアーに行ってきた。ポルトガルの実質観光日数は 3 日といった、本当の駆け足であった。ポルトガルを旅行先に選んだ理由は、司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ「南蛮のみちⅡ」を読んだことにある。フランシスコ・ザビエルのスペイン、フランス、ポルトガル時代の後を辿ったこの本で、フランシスコ・ザビエルがアジアへの渡航の出帆地となったリスボンを訪ね、当時に思いをはせている一節に関心を持ったことにある。ポルトガルの主なる観光地を辿るツアーが、ポルトガルの大航海時代の港であるリスボンのテージョ川河口地域をカバーすることと格安で行けることがツアー参加の決定理由であった。旅行に行く前に「南蛮のみちⅡ」を読み返したことにより、単に観光地を訪ねるのでなく、最初に日本に西洋文明とキリスト教をもたらせたポルトガルとその起点となったリスボンに強い関心を持つことができ、このことにより新たな発見もあった。

ポルトガル人が最初に日本を訪れたのは、1543 年。種子島にポルトガル商船が難破し打ち上げられ、その時鉄砲が伝わったとされている。しかし、テージョ川河口にある大航海モニュメントにはタイルで世界地図が描かれており、ポルトガルが世界各国と接触した(ポルトガルにおける各国の発見)年が記載されている。日本の発見は1541年となっている。現地在住の日本人のガイドさんの説明では、1541年に周防の大内氏との接触が最初とされているそうである。この時に種子島には鉄砲の原材料となる砂鉄が豊富であることから、砂鉄を入手することを目的に種子島を訪れたのが真実だそうである。

大航海時代はポルトガルのエンリケ航海王子により開かれ、ポルトガルとスペインの競争により拡大したといわれるが、バルトロメウス・ディアス(ポルトガル)のアフリカ西海岸到着 1488 年、コロンブス(スペイン)の西インド諸島発見は 1492 年、ヴァスコ・ダ・ガマ(ポルトガル)のインド航路発見は 1498 年、カブラル(ポルトガル)のブラジル発見が 1500 年、マゼラン(スペイン)の世界 1 周が 1519 年~1522 年となっている。フランシスコ・ザビエルがアジアへの布教のためリスボンを出帆したのが 1541 年、日本への来航は 1549 年、その時のサンチャゴ号は 700 トンの帆船であった。

このようなことを知って、その当時のことを想定しながらテージョ川河口を眺めると、感慨も深いものがあった。旅も段取り八分であると思う。