人芯経営論 ・・・採用に関して

2010/08/17 浅見 淳一

そろそろ多くの企業が新卒の研修を終了し、現場に配属されている時期だと思います。研修講師の仲間とは、毎年新卒研修の状況などについても話し合いますが、今年は多くの講師がかなり戸惑っていました。2002年度(高等学校は2003年度)学習指導要領による教育(ゆとり教育)を受けた世代が、社会に本格的に出てきました。一般的な事例ではないかもしれませんが、こんな話がありました。
1 研修開始時間になっても全員がそろわない。遅れて入ってきても平気。
2 注意すると「全否定された」などと言って出てこない。
3 教えていて反応がない。質問をして当てるとようやく答える。

「ゆとり教育の問題点」をネットで検索すればたくさん出てきます。制度については個人では変えられないですから、実務的な対応について考えたいと思います

1 採用方法
私も過っては企業の人事に所属しており採用活動もしていました。現在、企業の採用活動担当者の話を聞くと、ネットは使っていますが、基本は当時と殆ど違いがありません。履歴書などで確認してある程度絞った上で、何回かの面接や試験をして選びます。面接で聞くことは、相変わらず「学生時代はどんなことをしてきた」「わが社を応募した動機は」「入社してやってみたい仕事は」などステレオタイプ的な質問ばかりです。いまどきの学生は、その程度の質問には、模擬練習して対応済みです。時間の無駄とも言えます。採用活動に関する、問題点は、採用する企業側にあります。

●これからの自社には、どのような人材が必要なのか、しっかり定義していないことです。人材の定義は、知識や能力だけでなく、考え方や人間性(コミュニケーション能力・協調性・性格)や社風に合うかなど、幅広い領域です。知識などは、専門知識以外は、学生時代に学んだものが、実社会ですぐに役立つものはまれです、実際、必要な知識の大部分は会社に入ってから教育されます。採用活動をするに当たり、そうした多面的な能力を定義して採用活動をしている企業をあまりみかけません。
●自社として必要な人材が定義されたなら、それを確認する試験なり質問します。個人のプライバシィに関する質問はすべきでありません。ですから、企業で起きたトラブルをケーススタディーとして、その場合の対応方法を質問します。たとえば電話を使ったロールプレイを実施するなどの方法もあります。より現場に近い事例を使用して、その場合の企業として求める望ましい対応を見るなどいろいろな工夫で必要です。
●一般に面接官や採用担当者は、人事担当や役員ですが、実際の現場に関して詳しいとはいえません。また、直接新卒の人達と仕事をすることはまずありません。配属予定先の上司や同僚となる人に面接してもらい、感性で、この人だったら一緒に仕事をしても良いと思える人、好き嫌いで選んでもらう。その結果、責任や思い入れもでき、万が一思惑違いでも、責任の一端は選んだ人にもありますから、責任回避が難しいです。 私が採用担当していた時も、やはり多数の応募があり、すべてを詳細に検討することも会うことも時間的には難しく、最初に書類で無難な選択肢で選んでいました。しかし採用はプロジェクトです。まず初めに目的(採用したい人物像)をはっきりと定義し、目的を達成するための方法を考え、コミュニケーションを計画するプロセスが必要です。

<余談1>
今月の映画は「インセブション」を見に行きました。好き嫌いがある映画だと思いますが、私はとても好きな傾向の映画です。脳科学や心理学などの要素がとても入っています。 人の夢(潜在意識)の中に、イメージや思考をインプットするために、その人の潜在意識の中に潜っていき、目的の考え方を植え付けようとします。潜在意識は何層にも階層が分かれ、深くなるほど時間が早く進み、表層の5分が深層では20年に感じられたりしています。意識に入られた人も、入った人も、夢の世界ですが、現実世界と認識します。映画「マトリックス」と同じようにデジタルの仮想世界も、その中にいる人には現実世界です。 現実の世界では、潜在意識に考え方や思想を植え付けることは、頻繁に簡単に数限りなく行われています。たとえば、テレビやマスコミは、流行の服や色やお洒落なライフスタイルの価値観を植え付けます。飲めばスカッとするイメージの飲料のCMはよく流れ、リフレッシュしたいときには飲みたくなります。新聞やニュースは世論調査で、大多数の意見と言われているものを伝えています。いずれも知らないうちに自分の考えや好みや価値観に転嫁されています。教育もその一部とも考えられます。

今、私たちが存在している現実世界が、感じているような物質世界であるか、映画のような精神世界なのか証明が難しいと思います。般若心経では「色即是空、空即是色」と説いています。すべての物はすなわち空(空間、エネルギー、波動)であり、逆もまた真です。最新の科学の量子論では、すべての原子は、エネルギーであり振動です。原子は空間的にはスカスカであり、仮に空間をなくした場合、10万分の1ぐらいの体積になるそうです。実は私たちは振動している塊を、人や物として脳でとらえているだけかもしれません。谷口雅春氏の「聖経」の中で「汝ら感覚にてみとむる物質を、実在となすなかれ。物質はものの実質にあらず」と説いています。少なくとも現実世界の認識は、各々の人が脳の中で情報処理をしている世界と定義した時には、人によって違うのですから、共通の世界などは存在しない理屈になります。美しい世界だと思っている人には美しい世界が存在し、醜い世界だと思っいる人には醜い世界が存在します。

映画の中でも取り上げられている時間は科学の最大の謎の一つです。基本となる時間などは宇宙に存在しないとの理論もあります。実は時間などは存在していないのではないかと言う科学者もいます。弥勒の世界の時間の1000年は人の世界の1日と言います。時間がどのようなメカニズムなのかは分かっていません。ブッタは、弟子に人生の長さを聞かれたときに「一瞬」と答えています。時間は一瞬の積み重ね・継続としてとらえた場合、時の流れもなく過去も未来も存在しないことになります。映画では、脳が感じる空間と時間が、少なくともその世界では現実の空間と時間だと暗示されています。インセブションは、西洋思想の唯物論よりは東洋的な思想が感じられて興味深い映画でした。

別の視点から世界を見るのも新鮮です。「宇宙から見た地球」の映像です。
http://www.youtube.com/watch?v=SDxniIH_4B0