これが幸福でなきゃ

2014/01/14 中嶋 秀隆

日本人は幸福を感じる度合いが低いのでは…? ポジティブ心理学の集まりでこんな指摘を聞いたことがある。 根拠とされたのが、戦後の GDP の伸びと生活満足度の推移をプロットしたグラフである。『国民生活白書』(平成 20 年、内閣府)には、1981 年から 2005 年までの 1 人当たり GDP と生活満足度の推移が 3 年ごとに示されている。 それによると、1 人当たり GDP は 1981 年に 273 万円から 2005 年の 420 万円までほぼ右肩上がりで成長している。一方、生活満足度(「満足している」=5 から「不満である」=1 までの得点)は 1984年の 3.60 をピークに 2005 年の 3.07 まで、 ゆっくり低下している。慶応大学の前野隆司教授も、1960 年から2010 年の 50 年間で、1 人当たり GDP が 4 倍に増えたにもかかわらす、生活満足度はほぼ横ばいだと指摘しておられる(『幸せのメカニズム』)。

しかし、だからといって、日本人は幸福を感じる度合いが低いとするのは、無茶な議論ではないだろうか?私は異論をさしはさみたい。 日本人の幸福度と経済指標が連動するとの考えは当たらないのではないかと思うからだ。

小津安二郎監督・原節子主演のいくつかの映画(例えば『東京物語』を観ると、戦後の日本人の生活がたいへん貧しかったことがわかる。 白黒の画面に映し出される家屋も家具も電気製品も、粗末なものである。窓は木枠のガラス 1 枚であり、今のようなアルミサッシではない。 同じ映画の最近のリメイク『東京家族』(山田洋次監督)に見られる現在の暮らしぶりとは雲泥の差である。 しかし、小津作品の中に生きる人々は、折目正しく、実に魅力的だ。みな立派に生きている。貧しいながらも、不幸とはいえまい。 新旧の両作品を観並べると、親子、家族や近所との関係、仕事と家庭のバランスの問題や、将来への期待と不安が入り交じった感情など、昔も今も変わらないという印象を強くした。

とはいえ、幸福を感じることが不得手では困ることがすくなくない。その意味で、洋の東西・老若男女を問わす、米国の作家、カート・ヴォネガットの次の指摘は肝に銘じたい。

「おじさんの、ほかの人間に対するいちばんの不満は、自分が幸せなのにそれをわかっていない連中が多すぎるということだった。 夏、わたしはおじといっしょにリンゴの木の下でレモネードを飲みながら、あれこれとりとめもないおしゃべりをした。 ミツバチが羽音をたてるみたいな、のんびりした会話だ。そんなとき、おじさんは気持ちのいいおしゃべりを突然やめて、大声でこう言った。 「これが幸せでなきゃ、いったい何が幸せだっていうんだ」 (『国のない男』)