連中はなかなかくたばらない(東日本大震災の2週間あと)

2011/03/28 中嶋 秀隆

2011年3月11日に東日本の太平洋側は巨大な地震と津波に見舞われました。私の故郷、岩手県宮古市も震度6強の地震に遭い、押し寄せた津波で未曾有の大被害を受けました。3月24日、東北新幹線の那須塩原・盛岡間が不通のまま、東京からの深夜バスを選んで盛岡に向かいました。東北縦貫道は一般車両にはまだ通行止めでしたが、高速バスは走りました。翌朝に盛岡に着き、宮古へのバスの乗客の列30分ほど並びました。バスを待つ乗客の中には白い花束を抱えた人もいます。
10時30分に宮古着くとバス停に、中学の仲間・遠山君が待っていてくれ、彼の愛車で、市の中心部から、郊外の鍬が崎・田老・藤原・金浜・高浜・津軽石の各地区を回り、その後、数人の仲間にも会いました。以下、その要約です。

1)宮古の中心部
TVが繰り返し映像を流すように、地震の30分後に、予想もしなかった高さの、どす黒い津波が防潮堤を乗り越え、漁船を橋にぶっつけてから町の真ん中に運び、人と家屋、車などありとあらゆる物を押し流し、海へと引きずり、繁華街を汚泥で覆った。私が到着した日は、地震から2週間が経過しており、幹線通りに沿う地域は一次対応は終っていた。防潮堤のすぐ内側にある市役所は1階と2階が津波に洗われた(くだんのTV映像は、建物の上層階から写したものの。中心の繁華街・末広町は、商店や旅館、レストランなど、すべての建物の1階部分が泥酔に浸かったが、すでに水は引いている。通りの両脇には家具や冷蔵庫、衣類、布団など、日常生活を支えた品物が「がれき」として積み上げられ、関係者がスコップで後片付けをしたり、商品の棚などを洗剤で洗い落したりしている。津波で運ばれた漁船が通りの中ほどに置き去りになっている。通りの両脇に櫛状に伸びる道や裏の通りの両側にもがれきが積み上げられ、汚れた重たい畳を高く重ねたあ場所もある。市の中心部の土地は海側からの緩やかなのぼりになっており、上部にあたるJR宮古駅や魚菜市場あたりまでに津波がやってきた。

2)鍬が崎・田老
繁華街を北に向かい、鍬が先(くわがさき)とその先の田老(たろう)に行ってみた。魚市場がある鍬が崎は平地にある建物の1階はすべて水に浸かり、1階部分をそっくり押し流されて2階部分だけが地上に残っているものもあれば、ピロティ状態になっているものもある。高校の仲間1人の家が津波でそっくり流された。彼は建築が専門であり、自宅は十分な強度を備えていたはずなのに、「まさか船がぶつかってくるとは思ってもみなかった」と話していたという。コンビニエンスストアや車のディーラーの看板には無傷で佇立しているが、店舗は見る影もない。 田老はさらに惨状を極める。自慢の防潮堤(高さ10メートル)も、役に立たなかった。町のあった場所がすべてがれきで埋め尽くされ、橋の欄干もなぎ倒され、空襲に遭ったかのようである。後片付けをする人や、重機で通り道を切り開く自衛隊員、信号機が停電しているために交通整理をする消防隊員などの姿が見られる。地元住民と思われる3人連れが、がれきにの中で何かを探していた。津波にすべてをもっていかれ、更地の場所もある。

3)藤原・金浜・高浜・津軽石
市中を南に抜けて、宮古大橋を渡った藤原も惨状は変わらない。この地域に開店したばかりの大型薬局が、わずか数日後に津波の被害に遭ったという。宮古湾のすぐほとりにある海に面したレストランも、金浜にある人気のスーパー温泉も被災して建物が残るのみであり、この地区のお寺の建物も傾いている。高浜の親戚の家も1階が水に浸かった。ここに住む叔母は、津波の時には山にのぼって難をのがれた。そこからさらに南の津軽石の親戚を訪ね、家業の製材所とその隣の住まいに行ってみた。幸い全員無事で、親戚は数人の社員と一緒に、水に浸かった製材所の後片付けをしていた。東京の知人に託されたチョコレートのセットを渡すと、とても喜んでくれ、「ガソリンが大変なのに、わざわざ来てくれて…」と言って、おにぎりと2種類のさけ(鮭の切り身と吟醸酒)を土産にくれた。近くを走るJRの線路は大きくひしゃげ、列車は脱線して「く」の字におれている。
帰途、中学の仲間(富雄君)が経営する自転車店に立ち寄った。ここには被害はなく、ガソリン不足から自転車が売れ、在庫もない。「こんなことで繁盛するのもね…」と複雑な胸の内を話してくれる。その間にも、自転車を求めて来店する客があり、すまなそうに断っていた。

4)3人の友人からのメッセージ
その後、さらに3人の友人を訪ねた。
美味で評判のラーメン店の店主は、大学生の息子さんと2人で、津波に浸かった店をゴシゴシ掃除していた。店内の壁の2メートルほどの高さのところを指さして、「ここまで水がきたんだ。でも、1か月ぐらいで開店したい」と言って、笑った。私も「皆が開店を待っている」と伝える。JR駅前のレストランの直前まで津波が押し寄せたが、ここは被害を免れた。店主は、仲間に人的被害はないと教えてくれた。関東にいる仲間へのメッセージを訊くと、「(宮古にいる)連中はなかなかくたばらない」と伝えてほしいとのこと。

市内の中央の仲間が集まるスナックも、建物の1階は津波の浸水に遭った。スナックは2階にあり津波の被害はなかったが、地震でボトルや食器に被害があった。ここの店主は、冷蔵庫を後片付けをしていた。関東にいる仲間には、「わたしは異様に元気」と伝えて、とおおせつかる。

以 上