職業としてのプロジェクト(その3)

2008/10/15 中嶋 秀隆

枝分かれと剪定

ある職業(や役割)が個人に向いているかどうかは時代と社会の制約――と恩寵――を受ける。畳張りがどんなに得意で好きであっても、こんにち職業として成り立たせるのは容易ではない。洗濯板をつくることも同様だ。ともに、現代社会の産業構造では大きな需要が見込まれないからだ。

企業が新ビジネスで成功できるかどうも、時代と社会の制約――と恩寵――を受ける。陳腐な商品では消費者に見向きもされない。かといって、先進的すぎるのも考えものだ。例えば、フォード社が売れ筋の乗用車“トーラス”に改良を加え、人間工学の粋を集めた新車を発売したが、思惑ほどのヒットにはならなかった。

ある個人がある職業(や役割)に向いているか、企業が新ビジネスで成功できるか――これを知りたければ、たくさん試してうまくいったものを残すことをやらなければならない。このことを、名著『ビジョナリーカンパニー』では、次のように説明している。
「進化の過程は、“枝分かれと剪定”に似ている…。木が十分に枝分かれし(つまり、変異を起こし)、枯れた枝をうまく剪定すれば(つまり、淘汰のなかで選択すれば)、変化を繰り返す環境のなかでうまく成長していくのに適した健康な枝を十分に持つ木に進化していくだろう」

同書では「枝分かれと剪定」を見事に実現している例として3M社を紹介し、このやり方を続けるかぎりこれからも発展・成長することは間違いない、と太鼓判を押している。3M社のプロダクト・ミックスは、太い幹を中心に、夥しい数の枝(商品群)が広がっている。

「枝分かれと剪定」のプロセスでは、たくさんのことを試し、残ったビジネスは成長を続け、見込みのない(ことが明らかになった)ビジネスは剪定される。つまり、結果として残るビジネスの数は、試したビジネスの数より小さい。一般的な意味での失敗は、織り込み済みであるのだから、たくさん試すことが必要である。こう考えれば、「いろんなことをやらせたけど、どれもものにならなかった」という述懐も、インテルの負け戦も、進化のプロセスの貴重な試みであるとプラスに評価してよいのではないだろうか。われわれは、歴史上かって例のなかっ

た豊かさと、1勝7敗でもやっていけるビジネスの世界に身を置いているのだから。

”『プロジェクトマネジメント学会誌』より転載”