一つ負け越す美学

2013/03/15 中嶋 秀隆

大相撲の高見盛関が現役引退を発表した。取り組み前の気合注入のユニークなパフォーマンスから「角界のロボコップ」というニックネームを得た名力士である。報道では、年寄「振分」を襲名して東関部屋の部屋付 親方となるそうだ。広く人気を集めたことについて、「自分にはもったいないような、恥ずかしいような、うれしいような複雑な気持ち」という引退時の談話も、関取の人柄をよく表している。

現役時代の戦績、563 勝 564 敗に、とりわけ魅せられた。ある対談集の一節を思い出したからだ。作家・吉行淳之介は、「女との付き合いは」との但し書きをつけた上で、こう指摘をしている。「相撲で言えば、七勝八敗だと。“七勝八敗の美学”というのは大切にすべきだと。一つ負け越す美学というのは、そこがいいところな んでね」(吉行淳之介・開高 健『対談・美酒について』)。友人関係でも商取引でも、長に間それを維持する秘訣には、相手との関係の中で、こちらが勝つこと、相手 を打ち負かすことより、相手が勝つのをこちらが受け入れる心の平静さが鍵になる場面がある。勝ち過ぎも負け過ぎも困るが、「一つ負け越す美学」が大切ということだろう。

高見盛関は、勝つことが特に重要な意味を持つ勝負の世界で、1000 を超える取り組みの結果、一つ負け越している。見事と言うほかない。彼の振る舞いと戦績をから、好きな和歌を思い出した。

牡丹花は咲き定まりて静かなり 花の占めたる位置のたしかさ (木下利玄)

以上