プロジェクトの報・連・相:その4

2016/10/13 中 憲治

その1:ホンダからまたリコールの知らせが来た。「ご愛用車のリコールについての大切なおしらせ」という本田技研本社からの書類である。「助手席側エアバッグに不具合があることが判明しました。(中略)リコールについて下記にご案内いたします」とあり、昨年から続いているエアバッグのインフレ―タがエアバックが開いた時に飛び散り怪我をする恐れがある案件でのリコールである。
昨年 10 月にも、運転席側のエアバッグについてリコールがあり販売店のサービスに入庫したが、今回は助手席側の同様なリコールである。
購入先の販売店に連絡をして修理日程を予約してほしいとあり、お問い合わせ先として、最寄りの販売会社の販売店が記されている。またと思い、販売店に電話すると、「まだ交換部品が準備されておらず、修理は 2か月ほど先になります」とのこと、準備できていないとしたら、なぜこの案内文にそのことを記されていないのか?部品の準備が整えばそちらから改めて連絡を頂けるのか?など質問すると「申し訳ありません、そう致します」との返事。
案内文に一言、「交換部品が整い次第、販売店からご連絡いたします」の一文があれば、わざわざ無用な電話をする必要もなかったのにと嘆いた。
その2:とあるファーストフード店にて、「○○のパックを一つください、テイクアウトで」とオーダーすると、「少々お待ち頂くことになります」との返事。何分ほど待つ必要があるのか、場合によっては,ほかの用事を先に済ませて来ようかと思い「少々ツテ、どの位待つの」と重ねて聞くと「ただ今込み合っておりますので、お客様の商品が準備出来次第ご案内させていただきます」との返事。「それでは、質問に対する答えとなっていない、私が聞きたいのは何分ぐらい待つ必要があるのかということです」との問いに「5~6分お待ち頂くこととなります」とのこと。なんだ、5~6分でいいのかと思い、待つことにした。
「少々お待ちください」の返事で納得する人もいるだろうが、時間の単位で返事がほしい人もいる。日本語には「数分、数時間、数日、数週・・数キロ」など数○○で表現する言葉が氾濫している。それでお互いの理解が一致していれば問題ないが、そのような状況は、ハイコンテクト文化の下でしか期待できないだろう、「少々」も「数○○」と同じ相手の忖度を前提とした言葉である。
グローバル社会には通用しないと考える必要がある。