バンクーバーを走る

2015/05/15 中 憲治

 ゴールデンウイークの期間、バンクーバーマラソンを走るバンクーバーへ行ってきました。

還暦以降続けてきた「アラ還プロジェクト・五大陸マラソン完走」を完了し、その後は「シニア・プロジェクト」 として、行ってみたいな、走ってみたいなと思うマラソンを走ることを始めたが、その 1 番目がバンクーバーマラソンだった。 バンクーバーマラソンは、そのコースが変化に富んでおり何よりも風景が美しいと評判の大会である。バンクーバーマラソンは、 ボストンマラソンに倣って創められたということであるが、ボストンに比べてコースの風景は変化に富んで走っていて楽しいコースである 。バンクーバー郊外にあるクイーンエリザベス・パークをスタートし、緑豊かな高級住宅街を走り、ブリティッシュ・コロンビア大学 (UBC)の周りを一周するとイングリシュ・ベイ(湾)に出る。海を眺めながらイングリシュ・ベイの畔を回りながらバラードブリッジを渡りバンクーバーのダウンタウン入る、 そこから最後の 10kmはスタンレーパークを一周し、ゴールに至る。変化にとんだ美しい風景が疲れを感じさせないコースである。 (もっとも応援はウエズリー・カレッジの応援に代表されるようにボストンマラソンの方がはるかに賑やかで楽しい。) バンクーバーマラソンがボストンマラソンに倣った最大のポイントは、そのゴール地点の風景で、最後に市街地に入りストリート を走ってビルの谷間にゴールする点だろう。ボストンマラソンのように観客スタンドが設置されていたら、本当に錯覚してしまうかもしれない。

マラソン完走後はバンクーバー市内を歩いて観光した。バンクーバーは移民の街といえる。

初めはイギリスからの移民者による開拓、そしてアジアも含めた世界各国からの移民を受け入れ多様な都市を築き上げてきた。戦前は日本からの移民も多く、日本人町を形成していたことは映画「バンクーバーの朝日」 にも詳しい。もっとも日本人町は第二次大戦中、日本人移民が収容所送りとなり、その後に中国人が住み始め、現在では存在しない。 中国人では、香港からの移民が多く、香港がイギリスから返還される際、香港の富裕層が多くバンクーバーへ移ってきたということである。 バンクーバーは綺麗な街とは必ずしも言えない、メインストリートのロブソン通りでも、ホームレスがその辺に寝ている姿は珍しくない。

郊外に延びるグランビル通りはそこら中にごみが散乱している。
ただ一つ、良い意味で驚いたことがある。それは人優先が徹底されているである。バンクーバー市内はスカイトレインという無人運転の電車の他は、 公共交通機関はバスだけであり、必然的に車が多くなる。道路の交差点では歩道ははっきりとは明示されず、 歩行者用の信号が本当に短い時間の点滅で青から赤になる。一見、歩行者優先とは思えないが、歩行者が横断していると、 車は必ず一旦停止する。信号のない交差点でも同様で、徹底した歩行者優先である。
スカイトレインは無人運転であるが、車内には、「Priority is Safety」の大きなポスターがあった。安全優先の考え方が徹底されている社会の様だ。