にもかかわらず笑う

2009/05/13 中嶋 秀隆

4月はじめに米国に出張した。その折、NYの空港で散々な目に遭ったが、その体験を通して、ユーモアの定義のひとつである「にもかかわらず笑う」ことの大切さを改めて感じた。さらに米国人の「大人の対応」を目の当たりにした。その顛末を紹介しよう。
午前11時に成田を発ち、同じ日のほぼ同じ時刻・午前11時にニューヨークのジョン・F・ケネディ空港(JFK)に到着。ここまでは予定通り。
JFKで3時間ほどの乗り換え時間をはさんで、14時発のアメリカン航空機でボストン向かう予定。念のためにと早めに出発ゲートに陣取り、読書をしながら時間を過ごす。その時、唐突に場内アナウンスで名前を呼ばれ、カウンターに来るように言われる。行ってみると、使用機材(飛行機)が変更になったので、席を変更させてほしいという申し出。そのまま申し出を受ける。少し“虫の知らせ”。
読書を再開するとほどなく、次のアナウンス。「使用機材変更のため、全員は乗れません。乗客から6名のボランティアを募ります。ラ・ガーディア空港(LGA)――移動には少なくとも30分かかる――にタクシーで移り、15時発のボストン行きに乗っていただきます。依頼を受けてくれる方には、LGAまでのタクシー料金とお礼に250ドルを進呈します。」
その提案は受けずに――なにしろ、ボストンで知人が待っている――そのままJFKにとどまり、変更になった機に乗り込む。40人乗りの小型機。滑走路に移動した飛行機は、その場でエンジンのONとOFFを繰り返して90分待機。結局、飛び発つことなく、そのままゲートに引き返す。”Nicetry”と隣の席のドイツ人客が言い、私も”Veryshortflight”と応じる。飛行機から全員がおろされ、ロビーに逆戻りした時、時刻はすでに15時30分。やがて「ボストン地区の雷雨のため、この便はキャンセルされました。詳細はカウンターへ」とのこと。
カウンターで係員に相談すると、すでにチェックインしているに荷物(大型スーツケース)を自分で引き上げ、タクシーでLGAに行き、17時30分のボストン行きデルタ航空機に乗りなさい、というアドバイス。ただし、タクシー代は自己負担という条件。
ボストンで待つ知人に連絡するため、コインをたくさん用意して、空港から公衆電話をかけるが、うまくつながらない。連絡が取れないまま、LGAまでタクシーをとばす。車中で運転手さんの携帯電話を借り、やっと知人と話す。「たいへんだね。気をつけて」と激励される。
夕刻のラッシュが始まっていて、タクシーは交通渋滞で時々止まりながらも、LGAのデルタ航空ターミナルに着く。すると係員から「ボストン行きはここじゃない。海岸べりの、シャトル(中距離用の中小型便)専用の別のターミナルに行け」との指示。そちらにタクシーに回ってもらい、運転手さんにはチップを弾む。
こうして16時50分にカウンターに着くと、「17時30分のボストン行きは、19時まで遅れる。ボストン行きはいつもは4便あるが、そのうち2便はすでにキャンセルされた。あなたが乗る便も出発するかどうかはわからない」とのこと。
笑うしかない状況で、空港ロビーのソファーに陣取り、ピザとビールをほおばりながら、腹ごしらえと、仕事をすこしする。すぐそばでは、ビジネスマンがNYの鉄道駅に携帯電話をいれ、NYからボストン行きの汽車の空席を確認している。こちらは運を天に任せる形で、その場で待つ。
だいぶ遅れてやっと機内に乗り込む。2便キャンセルされた影響もあり、出発ゲートにはキャンセル待ちの乗客の長い列がある。気の毒ではあるが、どうかあしからずという気持ち。搭乗機は140乗りぐらいの中型機。機内は見慣れない構造で、ひょっとして某社製では…などと考える。
機内に着席しても、飛行機はなかなか出発しない。そのうちに、「重量オ-バーで調整中」とのアナウンス。その後、5-6人の乗客が名前を呼ばれ、おろされる。
便は19時からさらに遅れたが、21時20分に無事LGAを出発する。
23時ごろボストンに着くと、こちらのゲートにもLGAに向かう乗客の長い列。市中のホテルに荷物をおろし、知人に電話。今夜は会うのはやめ、明日朝にしようと話す。私の好きなビール(サミュエル・アダムス)を買ってあるとのこと。「それだけ動いたのなら、今夜はよく眠れるね」と、彼一流の楽観主義で言ってくれる。
これが、長い一日の出来事。
こういうやり取りの中で、一点、「何か違うな」と感じていたことがある。仮に東京の羽田空港で同じことがあったら、と想像したからだ。現にこういう時の羽田では、航空会社のカウンターで、乗客が係員(女性のことが多い)に居丈高に詰め寄っている光景がよく見られる。飛行機の出発遅れはカウンターにいる係員がコントロールできることではない。それでも、日本語で言う「振り上げたこぶし」を彼女に向け、憤懣やるかたないといった表情である。そんなことが今回のNYでは、一例たりともなかった。「変えられることを変える勇気と、変えられないことを受け入

れる知恵」――この点で、NYの飛行場の乗客の対応には考えさせられた。私の限られた経験から見ても、米国には良い点も良くない点もある。が、今回の乗客の行動は「大人の対応」といってよいと思う。
また、ユーモアの定義のひとつである「にもかかわらず笑う」ことの大切さを改めて感じるエピソードでもあった。
以上